「ミスしないように気をつけて努力をしてもらわないと困るんですよ!」
家庭の事情で会社を辞める斉藤さんが新人女性に引継ぎをしているやりとりをさえぎって、若い営業が強い口調で言った。
わたしの職場に数週間前に入った新人さんは、とても優秀な人で覚えがよく、びっくりするくらいミスが少ない。
新人のころのわたしとのミス比率は 1/20 ! (……控えめに言いすぎかな もっとかな)
そんな中、だれもがやるミスをした新人に斉藤さんが、
「でもこれは最初みんながやるミスだから、気にしなくていいよ~」
と言ったところ、それを聞いていた営業が突如そのやりとりに割って入ったのだ。
「さっきから何言ってるんですか? 言わせてもらいますけどね、気にしないでいられたら困るんですよ。」
と。
“お局さんが引継ぎにあれこれ詰め込んで重箱の隅つつくようなやり方で新人がメンタル病んで辞めた”
という経験を踏まえて、わたしと退職予定の斉藤さんは
新人には余計な重圧をかけずに大切に育てていかなければならない。ここで辞められたら引き継ぎの時間が足りない!慣れてからすこしずつできる事を増やしていってもらおう!!
と決心していた。(てゆうか当たり前のことじゃんね!?)
新人がメンタル病んで辞めた話はこちら↓
だーかーらぁーーー!
そんなの新人本人も重々わかってるからぁ!!
わかって努力してもミスはあるでしょおお!!??
あんたもミスしてるでしょおおおおお???
ましてや新人なんかミスしながら仕事おぼえていくものでしょおおおお???
ここで新人にそんなプレッシャーかけていったいどうなるというのか?
新人に居着いてもらい成長して戦力になってもらいたいのではないのか?
前回の新人のメンタル病んで辞められたこないだの件で何も学んでないのか!?
その営業に躍りかかってなりふり構わずツバ飛ばして、怒鳴り散らしたくなったよね。(やんねーけど)
あのさあ、お前はばぶばぶ言って泣いていた赤んぼ時代に
「ばぶばぶ言ってないでしゃべる努力をしろ!」って親に言われて育ったわけ?
うんこおしっこ漏らしてオムツ替えられていた赤んぼ時代に
「うんこ漏らさないよう気をつけろ!」って親に言われて育ったわけ?
そんなわけないでしょ?わたしたちはいずれできて当然だと思われるようなことを、できないお前はおかしい!努力しろ!迷惑かけるな!とは迫られてきてはいない。
お母さんやお父さんやじいちゃんばあちゃんにオムツ替えてもらって漏らして汚してトイレトレーニングしてもらって、トイレでうんこおしっこできるようになったわけです。
できて当然だと思われているこれらのことですらできないで、子ども時代はあたりまえに大人に面倒かけて、いわば当然のように迷惑をかけてきてるわけですよ、わたしたちはみんな。
……それに比べてたいていの新人は、みんな必死で仕事を覚えようとするし、迷惑かけまいと遠慮しているし、先輩に好かれようと気を使っているし、ミスしても恐縮してますよ。
赤ちゃんのように当然のように迷惑なんかかけてないわけですよ。
それをわかっているからこその、
「気にしなくていいよ」
の声かけなわけです。
萎縮しちゃったら人はできる仕事もできなくなるし、ミスをこまかく指摘ばかりされたら精神がおかしくなる。
たとえ自分が今までそうされて来て、たまたま病まずに来れたのだとしても、嫌なものは嫌だったし、新人にそれを強いて辞めて欲しくない。辞められたら困るの自分じゃん?
大事にしなきゃだめでしょ、新人こそ未来の頼もしい同僚なんだから。
子育ての本質って「待つ」ことなんだってどこかで読んだことある。
仕事でもそうなんだと思う。
忍耐が必要なのは、努力が必要なのは、
新人よりも指導者、その場の強者側なんです。
たとえ新人のミスでわたしたちが迷惑をかけられても、そんなのは仕事のうち。
それを逆切れして新人を責めるとか、育てる意識なくプレッシャーだけかけて潰しといて「そんな奴は根性なしだから辞めて正解」とか言う奴いたら、
そいつこそが忍耐と努力の足りない、新人に甘えたお子さマンなのです。
……ところが恐ろしいことにここ数年のニュースやネットを見てて感じるのは、
このお子さマン営業が決して特殊ではなく、これが当たり前の日本の空気なんだなってこと。
日本企業が「床上手の処女」(他所を知らず比較されることはないが技術はある。2ちゃん由来の表現とのこと)のような新卒が必要なのも、新人を大切に育てる努力をしたくない から。
上司の部下への要望第一位が「上司の意を察して動け」なのも、具体的な指導をさぼり指示の責任をとりたくない から。
日大アメフトの悪質タックルのニュースはまさにこれです。
誘拐犯と被害者少女のラブストーリーマンガ「幸色のワンルーム」がドラマ化されるほどヒットしたのも、
Twitterでわたしのタイムラインにやってくるほどこの↓「罪人を許す女児」のマンガが拡散されてるのも、(現在はツイートは削除されています)
罪人を許すこと pic.twitter.com/gxPejaKmCq
— 愛南ぜろ/ぜろぽんち (@zerotan0201) June 17, 2018
社会の強者側であるはずの大人の男の、加害しながら受け入れられたいという醜くい欲望が美談の体で肯定されている から。
どちらも 本来大人が守り庇護するべき対象の子ども(女児限定)に、許しや受容を求め押し付けている。
極めつけはJS妻やJC妻「ばぶみ」など、本来社会的に守られるべき弱い存在の女児にセックスや母性を押し付けるエロ界の風潮。
お子さマンのヤバさここに極まれり! としか言いようがなく、この日本社会の未来が終わっていっているのをリアルタイムで見ているようです。
『もうパパとママにいわれなくても
しっかりとじぶんからきょうよりもっともっとあしたはできるようにするから
もうおねがい ゆるして ゆるしてください おねがいします
ほんとうにもうおなじことはしません ゆるして きのうぜんぜんできてなかったこと
これまでまいにちやってきたことをなおします
これまでどれだけあほみたいにあそんでいたか あそぶってあほみたいなことやめるので
もうぜったいぜったいやらないからね ぜったいぜったいやくそくします』
学校にもまだ行ってない5歳の女の子が親に書かされた “反省文”
たくさん遊んで、
いっぱいわがまま言って、
泣いて、抱っこされて、笑って、
守られて育つべきたった5歳の子どもが、
その守るべき存在の親からこんなものを書かされ、殺された。
わたしはこの事件を、鬼畜のような親の特殊なケースだとまったく思っていない。
これこそがまさに、
お子さマンがのうのうと弱いものに甘え加害するのが当たり前のこの日本ので、未来が着実に殺されている現場だ。
……なぜいくつになっても自分を社会的な強者だと認め大人の責任をとれるようにならないのかは、また今度書きます。