息子なぐが中学の時と、高校の今と、朝になって急に「お腹が」「頭が」「胸が」痛いと言いだし学校を休み、そのまま数日不登校だったことがたびたびある。
ながーい人生において学校や仕事を、たとえば何日、何週間か休むことなんて、正直なんのスランプでもない。
客観的に見たら、私たちがドラマや映画や漫画でよく見るふつうの主人公のありがちな設定である。
……いや、そーなんだけど、
はたから見たら、たしかにそーーなんだけれど!!
積極的に普通からはずれて、めんどくさいルートで生きてきた私でも、母親として子供が普通のルートから外れることに恐怖を感じる。
今日はそんな自分の愚痴ばなしです。
わたしの母親は保育士だったので、わたしは自分が子供を生む前から家で子育てについての話をたくさんしてきたように思う。
母親が保育の現場で見てきた親子の具体的な問題や、子供にとっていちばん必要なものは何か?とか、今のお母さんたちに見える特徴的な問題などを、食事中の話題や仕事の愚痴や人生訓として聞いてきた。
そしてそんな親ともたくさん衝突し、親の言う正しさの前に太刀打ちできる自分の言葉がないことに悔し泣きしてきたわたしは、大人になっても子供側の気持ちを忘れずにいようと心に決めていた。
そしてなぐが生まれて、結婚せずシングルで母親になったわたしは、
普通じゃない自分だからこそ、子供を型にはめず、へんなタブーもない何でも話せる親になって、のびのびと育てて、つよく面白い子に育てるんだー!
ってわくわくしていた。
今思えば謎なんだけど、すごい自信があったようにすら思う。
そうは言っても、親が普通ルートから外れていてようと子供は地域社会の中で育つ。
なのでわたしも自分なりに積極的に子供を取り囲む環境にも関わっていこうとしてた。
もともとめんどくさがりで自分の興味ないことにはまったく関わりたくないわたしが、学校のPTA役員をやったり、習い事の剣道の役員をしたりした。
そうやって先生やまわりのお母さんたちとつながっていろんな仕事をこなしていたのも、たぶん、自分は自分の人生が“普通”じゃなくてもいいけど、それで地域社会から浮いて子供にデメリットあったら申し訳ないなーって負い目があったからだと思う。
いろんなお母さんたちが「うちは共働きだから~」とか「シングルなので~」とか、「旦那が家を空けるなって」って理由で断ってることを、いっぱいいっぱいになりながらもけっこう楽しんでやってた。
そういう親の姿を見て子供は育つから、きっと教育においても良いことだろうと考えながら。
でもねー、
なぐが学校行けなくなった時思ったの。
子育てについて特に考えてなさそうな家の子のほうが、よっぽどスランプなく学校生活送ってるやん!
って。(笑)
別にわたしが子育てについていろいろ考えポリシー持ってやってても、子供は“のびのびとつよい子”になんてなってない気がする……。
なんなら「ほら母親があんなだから子供もそうなる」って言われて非難されてもおかしくない状況に陥ってる気がする……。
「なんで、なんで、子育てについていろいろ考えてなさそうなうちの子は、なにも、問題なく学校いってるのに、なんで、こんなに考えてるうちのなぐは、うまくいかないの?」
って泣いて母親にぶちまけたことがある。
そのときの母親のかえしは、
「……子育てってのはそーゆーもんですわ……」
だったのだけど。
これはもちろん保育士だった母親が常々「良い子育てとは」と考え育ててきたわたしが、こんな(内緒で結婚せず子供を産む、とつぜん同性の恋人を連れてくる)風に育ったことを踏まえて言っている。
そうなんだよな。
そんで、その母親の言うところの子供、つまりわたしはこの自分とこの人生を今すごく気に入っている。いろんな選択を今なら大正解だったと思える。
だから今わたしが思うようには育っていないなぐがたとえ将来もそうだとしても、
自分の人生なかなかいいじゃん!自分って大正解じゃん!
って思えるようなってくれることを、願ってやまないです。
↑ おまえもヒゲとしっぽついとるがな!ってゆうね。