私たちは日本という巨大な機能不全家族で育てられているAC(アダルトチルドレン)だ。
このコマの、このセリフのために、作者はこのエピソードを描いている!
そんなセリフと共に、お勧めSFサバイバル超大作「7SEEDS」を紹介しています。 ①はこちら↓
2、機能不全家族のような日本社会と教育への批判
サバイバルのために純粋培養されたエリート集団の夏のAチームのメンバー 安居と涼について前回は少し触れたのだが、まずそのAチームがどういったエリート集団なのかWikipediaの解説から引用、追記し解説しよう。
5チームの中で最も優秀な(はずの)チーム。
生まれたときから一般社会から隔離された山奥で「人類が滅亡した未来に行き適応できる優秀な人材になる」ためだけに教育されて育つ。
優秀と判断された精子と卵子から生まれた子供たちばかりで、全員苗字は無い。社会的な意味での両親はおらず、大人達(教師や監督者)から肉親的な意味での愛情を掛けられた経験が無い。
そのためか、また仲間がライバルの環境のためかサバイバル教育のためか、容易に心の底からは他人を信用しない人格が作られている者も多い。
一緒に育ち学んだ仲間との友情も育まれていたが、命を狙われ仲間を出しぬいて文字通り生き残ることが条件の最終テストで大きな心的外傷を受ける。
この数年、アダルトチルドレン、それを生む機能不全家族、また毒親という概念について調べ本を読んでいた私には、彼らAチームはまごうことなきアダルトチルドレンに読めた。
厳しい試練、異様なテストを課せられ選別され心的外傷を持ちながら勝ち残り、今度は自分たちが他の(劣って見える)チームを力で支配していこうとする彼らAチームの姿は、私たちが生きている社会でよく見るものではないだろうか?
能力で選別され成果や生産性で命の価値を上げ下げされ、価値がないと判断されれば利用され切り捨てられる、そんな私たちの生きている社会のデフォルメとして夏のAチームの育つ施設はある。
それを作者は、物語の中でねばり強く否定していくのだ。
(しかし決してAチームの個々を否定しないのがポイント)
よく少年漫画の設定でもある、師匠や仲間を殺して勝ち残る最終試練。
この異様なテストで大きなトラウマを抱えているAチーム安居に本ヒロイン花の恋人の嵐が問うシーン。
“なぜNOを言わなかったのか?”
「できない」 「やらない」 「やりたくない」
残酷な問いだ。 エリートとして選別されるために育てられて来た夏のAチームにはそもそも
“NOと言う選択肢が許されていない” のだから。
Aチームの指導者だった百舌に無茶な指示を出された小瑠璃の代わりに、ハルがNOを言ったシーン。小瑠璃のことばに辛い顔をしているのも同じAチームの源五郎。
このシーンのおちこぼれBチームの嵐がエリートAチームの安居に投げかける一連の言葉は、大人である作者が私たちに伝えたいこと、気づいてほしいことが生々しく現れてしまっている。
なぜ課題をクリアしなければならないのか?なぜトップをとらなければならないのか?
なぜ仲間を死なせてまでテストに残らなければならないのか?
そこに自分の答えがないことに呆然とするAチーム安居は、
社会の押し付けてきた選別から脱落し動けなくなってしまった子どもたちだ。
洗脳、DV、…… NOと言えない世界で育てられた優秀な子どもたちAチーム
彼らは、機能不全家族で育ったAC(アダルトチルドレン)ひいてはそんな価値観の社会で教育されてきた私たちだ。
「おまえら何も考えず国のために戦場に行け って
だれかの都合で言われる時と同じだと思うから
オレはそれが絶対 イヤなんですよ」
戦場
10代の男子高生であったはずのキャラクターから出てくるにしては突拍子もなく政治的な表現じゃないだろうか?
このシーンの嵐は沢山の個性あるキャラをいきいきと動かしている本作で、一番作者の姿が見えてしまっている部分だ。
おそらく、作者はどうしてもこれを言いたかった。今の社会や教育のあり方に対して。
“自分を守るために自分で決めて逃げる選択肢のない世界はおかしい”
“NOと言えない世界はおかしい”
“自分でものを考えないようにさせられるのは恐ろしい”
私たちの生きる世界はそんな恐ろしいものじゃない!
Aチームのような人たちは現実にはいない!
……ほんとうにそうだろうか?
私はただのSF物語としてAチームのエピソードを読めなかった。
なぜなら私はこの、NOを言う選択肢がない(と思わされている)彼らのような状態を知っているから。
そしてそれが自分が思うよりも社会の“普通”の状態だと知っているから。
じつは経済的に自立し有名企業の綺麗なオフィスでバリバリ稼ぎ、職場では協調性があり和を乱さず優秀で努力家の、私よりよほど社会のいう“普通”の社会人をやっているにゆまちゃんが、Aチームの彼らのような人だからだ。
彼女は親にNOと言えなかった
他人からの侵害にもNOと言えなかった
常に結果を求められ優秀でなければならなかった
常に母親の頼りになる存在でいなければならなかった
そうしなければ愛されない存在を許されないと感じていた
常に他人から評価され選別され見定められ正しい行動をジャッジされていると感じ
急き立てられ虚しく寂しく目の前の自分の孤独で手一杯だった
付き合った当初、言葉と態度が裏腹で決して弱みを見せない素振りをしながらも全身からSOSを出している彼女にわたしはとても困惑した。(わかりやすく例えると漫画でよく見る“闇を背負ったクールキャラ”ですね!)
ゆまちゃんについて書かれている過去記事はこちら
その彼女を理解しようと調べるうちにAC(アダルトチルドレン)という概念にたどりついたのだった。
読んだ本の一部。あとは漫画やネットで調べたり図書館で本を借りて。
ACという言葉も毒親という言葉も知らなかったゆまちゃんに先入観なしに答えてもらったアダルトチルドレンチェックがこれ。
このチェックリストは例えば
・生きていること自体に罪悪感や嫌悪感がある
・何が正常で何が異常なのかが分からない
・自分は自分であってはいけないと思ってしまう
などと奇妙な設問がいくつか続く自己判断リスト。
彼女これで
「アダルトチルドレンである可能性が高いようです 以下のようなパターンに該当する可能性があります。幼少期や思春期に下記の様なことはありませんでしたか?」
といくつかの機能不全家族のパターンを示されていた。
Aチームの育った環境もこのパターンの中にある。
機能不全家族の特徴の一部を挙げてみよう
・比べられたり、差別をされる
・批判されいやみや皮肉を言われる
・「こんなにしてやってるのに」「あんたのためだ」と恩を着せられる
・能力以上のことを要求される
・勉強や進学などを指示される
・外部に漏らしてはならない秘密や隠し事がある
・性的虐待を他言しないように脅される
・いらない子だなどと言われ存在を否定される
・体の安全がおびやかされる
どうだろう?機能不全家族は特殊だろうか?私たちが生きている社会とどこが違うだろうか?
比べられ競わさせられ力関係を読み、
同調圧力で言葉を奪いNOを言わせず、
強いものの言うことをきく以外なく、
限界以上に働かされ心と体の安全をおびやかされ、
失敗したら罵倒され吊るしあげられるこの社会は、機能不全家族そのものだ。
私が「7SEEDS」の中で特にこの夏のAチームに思い入れがあるのは、出会った当初のゆまちゃんが彼らに被っていたから。
ただの日常を生きてるだけなのに、ゆまちゃんからは「失敗したら終わり、間違えたら終了」という切羽詰まり感が出ていた。Aチームの生死のかかった選別の日々の切迫感とまるで変わらなかったのだ。
夏のAチームだけではなく他のチームにも、別のパターンの機能不全家族で育った子どもたちが出くる。
おちこぼれBチームの蝉丸が、周りをバカにし高飛車な態度をとる旧家お嬢様春のチームのひばり(まだ12歳の子ども)に釘を差すシーン。
自身が「自分は幸せでない子どもだった」と自覚しそれを過去として抜け出している蝉丸は、周囲の力関係を読んで弱みを見せないよう誰かを踏みつけて格付けの上位に立とうとしているひばりの不幸を見透かしている。
“弱みを見せられない”“常に勝ち負けを意識する”は、私がゆまちゃんに感じたものと同じだ。
この機能不全家族と変わらない社会で“普通”に生きることはAチームの彼らと同じ生死のかかった選別にかけられていることと変わらない。
ACや毒親といったキーワードに関心がある人だけでなく、今この社会で息苦しさや生きづらさを感じている人に読んで欲しい。
選別に勝ち残ったエリートAチームが、おちこぼれBチームとの関わりで過去のトラウマから抜け出ていく様は、巨大な機能不全家族のようなこの社会で生きている私たちにどうすれば生きづらさから抜け出すことができるのか示してくれているから。
次回で「7SEEDS」については最後です! 次はフェミだぜ!!o(`・ω´・+o)