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恋愛が価値観の壁を跳び越えさせる

人は自分の精神の安定のために、違う環境に放り込んでシャッフルしても言葉の通じる価値観のそう遠くない似たような人と寄り合い仲良くなっていくものです。
 
私の友達にEXILEや浜崎あゆみを聴いていた人がおらず、体育会系の人がおらず、オタクであり、フェミや何かしらの差別問題また芸術関係に関心のある人が多く、友達とはそういった同じ価値観の世界に生きている。

 

ところが、ゆまちゃんは私が回避してきた価値観の、恐らく何かについて議論するならば必ず対立しかねない世界に生きる人でした。

 

例えていうならば、

 

保守と革新
右と左
権力と反権力
理系と文系
経済と芸術
父性と母性
理屈と感情
強さと弱さ
ちゃんと と いいかげん
仕事へのスタンス 社会問題へ言及する立ち位置  価値を置くものの違い  物差しの違い

ことごとく正反対で激しいバトルに発展してもおかしくない2人なのです。

 

リアルではこういった価値観の対立する世界の違う人同士はうまい具合に住み分けがされていたり、面倒なバトルを避け距離を置きながらも互いに馬鹿にしあっていたり しています。
私たちは価値観の違う者同士が意見を交わし議論することより、 強い者の意見に同調することのほうが得意だから。
 私の好きなTwitterではリアルで対立を避ける反動か、よくこういった立ち位置の違う人たちが対立し、議論ではなく喧嘩しているのを見ました。
そこで私は、私が信じる当たり前の価値観を口汚く罵り嘲る人たちがいることを知った。
私にとってその人たちとは,
理解を超えた恐ろしい存在、当たり前のことすら考えることができない愚かな人たち
に見えていた。

 

だから、その自分とは対立する価値観の人たちがよく口にするセリフを初めてゆまちゃんの口から聞いたときは 本当に本当に、驚きました。

 

「私の恋人があんな奴らと同じセリフを!」と失望したからじゃない。
何に驚いたかと言うと、 「あの人たちも彼女と同じで 理解を超えた恐ろしい存在でも愚かな存在なんかでもなく、その価値観を持つに至った経緯のある 1人の人間なんだ 」 と解ったからです 。

 

わたしとゆまちゃんは出会ったその日のうちにセックスをして そのままお互いに強い関心を持って惹かれあい恋愛に突入した。
そこに お互いの価値観を確認しあうタイミングはもちろんありません。

 

私は「セックスしたら好きになってしまう」人ではなく「見た目だけで好きになってしまう」人でもなかったが、「自分の好みの萌えツボがある」人で、あと好奇心が人一倍強かった。ゆまちゃんは性別不問の私の萌えツボをしっかり押さえていたんですね。(ここで言う萌えツボとは 性的に掻き立てられるという萌え=燃え です 笑)

 

 

 

ヒトが目新しいものに出くわした場合 まず驚き、それから好奇心が生まれるか恐怖が生まれるかのどちらかだと Wikipediaに書かれている。

 

確かに出会ったその時のゆまちゃんからは私は強い危険信号を感じました。
〝関わったら面倒なことになる〟 って私の直感はやはり間違っていなかったのだけれど、やはり好奇心が勝ってしまったのでした。
 性的な欲望の求心力はとても強く、 好奇心も人を動かす。
 性的な萌えと好奇心は=恋心と言っても良い。

 

 その強い力がなければ、とうてい近づくことのなかった別世界の私たちです。学生時代から恐らく友達にもならず、 成人し、どうしても向き合うことがあるならばそれは戦いのリングの上であったことでしょう。
 

 

 

そんな2人が、そもそもはセックスや恋心で惹かれあって 相手を知りたいと思い、好かれたいと願い、理解したい 近づきたいと努力する。そして初めて 自分とは相反する価値観をその人が大切にしてきた理由がわかる。理解不能な世界に住む恐ろしい敵が 自分と同じただのちっぽけな元子どもだとわかる。

 

私は そんな正反対の彼女と出会い惹かれあって こうして付き合うことで、冗談ではなく 世界の大きな謎の答えを貰えました。
  
それって恋愛が世界に小さな奇跡を起こす唯一の希望なのではないかと、 ゆまちゃんとの毎日で思うのです。